2011年5月アーカイブ
今日は、隣接したアパートと個人宅2件での作業。
高圧洗浄、家具運び、床下の泥出しの3チームに分かれてとりくむ。
特に被害の大きい地域の一つで、2メートル弱地盤の低い、道路を挟んだ隣の区画からは建物がほとんど無い。
自分は床下の泥出しをしていたが、今までやってきた他の家に比べて、土砂の粒は小石程の大きさのものが中心で、明らかに大きかった。
海からも割と近く地盤も低いから、津波の威力が大きかったのだろう。
床下に積もった土砂は20センチ位あった。
8畳程の和室だが、7人がかりで午前中いっぱいの時間がかかった。
休憩時間には、家主の方から砂肝の串焼きを頂いた。
大切な水や食べ物を差し入れして頂くのは心苦しいが、ご厚意はお預りすることにしている。
その分、お役に立てるようにする。
今日の作業は、午前中、町工場と体育館の側溝の泥出し作業、午後から、アパート1棟室内の高圧洗浄作業。
午前の側溝はヨーロッパから来られた外国の方々と共同作業。
約30人で行う。
5、6人でやれば一日以上の作業だが、大人数でやればペースも早い。
イギリスから来られた方に話を聞くと、阪神・淡路大震災のときにもボランティアに入られたらしい。
イギリスでは雨や雪の災害はあるが、地震は全然無いそうだ。
町工場は通常業務には程遠いのかもしれないが、それでも業務を再開していた。
作業終了の確認には立ち会って頂いたが、大変感謝いただき、良かったなぁと思えた。
ご自宅やご親戚に被害があるかもしれないが、仕事にもどる、仕事を再開することは街の復興のためにも欠かせないという声をよく聞く。
午後からのアパートでの高圧洗浄作業では、ポンプ式の高圧洗浄機を生まれて初めて使用した。
テレビの通販番組で見たまま、頑固な汚れがどんどん落ちる。
天井や壁に着いた泥を落とし、箒で水を外へと掻き出す。
ガソリン切れ、水切れで途中中断もあったが、綺麗にできて良かった。
ちなみに、ガソリンスタンドは通常営業を再開しているが、水道の復旧にはまだかかりそうだ。
街の中でも場所によっては水道を使えるところもあるが、盛岡市水道局の給水車が回っているところもある。
今日は終日、一軒のご自宅での作業。
海から50メートルも離れていない場所。津波で一階の天井まで浸水したそうだ。
午後から雨が心配されたが、天候は何とか持ちこたえ、中止は避けられた。
壁板、床板を、ハンマーや、バールで剥がしていき、床下の泥出しの作業。
壁板・床板を剥がすのは、その下にある柱を乾かすため。
床板はまた使うので、釘を抜いて、板はまた使えるように部屋の隅によけておく。
ご主人は話し好きなのか、自分からよく、話しかけてこられる。
わたしが何処から来たのか、どんな仕事をしているのか、など。
道路は通れるよう、撤去は済んでいるが、まだまだ酷い状況。
だが、大船渡では市場の新築工事も進んでいる。
まだ丸裸だが、鉄骨が組み上がった3階建ての大きな建造物だ。
海からは恵みも、被害も受ける。
三班に分かれての行動。
自分にとっては被災地支援行動、実質の初日。
自分の所属する1班は午前・午後ともに個人宅での泥出し作業。
海からは、2キロ程の少し離れた場所だが、塩の匂いがはっきりと解る。
実際に作業を始め、スコップや塵取りで泥をすくっていると、津波の被害がここまで来ていることを、自分の身で実感する。
一軒目は、新築して5年の家。
床をノコギリで斬って、剥がして、床下の泥をすくう。
昼食時間、家のダイニングに通して下さる。
黙っていても、気遣って下さる。
どんな思いなんだろうと思う。
一軒目から歩いてすぐの、二軒目にお伺いしたご家族によれば、津波、というより、近くの川の水位が徐々に上がって行ったそうだ。
壁の染みから、その高さが床上約2メートルだと解る。
床下に潜り、板チョコみたいに固まった土をパリパリと剥がしながら、作業後に石灰を撒いた。
集めた泥の土嚢袋が20近くはあっただろうか。
自分は地震・津波で家族を失うことも、財産や思い出の品を失うことも、職を失うことも、涙を流すこともしていない。
思いは100パーセント共有なんてできない。
自分に出来ることはなんだろう。
答えなんてないけど、やれることをやる、自分が体調を崩したりしない。そう決めた。